e-妊娠top 妊娠できたよ ゆっこさん

妊娠できたよ2009 ゆっこさん

ベビーシューズ
妊娠できたよ!
妊娠できたよ!

年齢など絞り込みでるようになりました。苦しみを乗り越えた人たちの妊娠報告...

顔
  • 名前ゆっこ
  • 年齢30
  • 結婚3年5ヶ月
  • ベビ待ち2年半
  • 治療2年

治療方法

・高プロラクチン血症の為の投薬(薬・漢方)
多嚢胞卵巣の為、
・クロミッド
・hMG−hCG注射
・フーナーテスト
・卵管造影検査

妊娠までの過程

私は、結婚前から皆に「すぐ子供できそうだね!」
なんて言われるほど健康的で安産体型でした。
だから、結婚後は「心配しなくてもすぐに妊娠できる」とタカをくくっていました。
ですが、結婚後間もなくの乳がん検診で、乳首からの分泌物が認められました。

高プロラクチン血症との診断を受けました。
全く予想していなかった自分の不妊体質・・・。

でも自分は大丈夫!と、まだ根拠のない自信がありました。
ですが、それからいくら頑張っても授からず・・・。

思い切って近所の婦人科を受診し、プロラクチンを下げる薬を処方してもらいましたが、そのあまりの副作用(飲んでは吐き、の繰り返し)に、数ヶ月で治療をお休みしました。

その後、遠方の不妊専門病院に転院して詳しく調べてもらった所、高プロラクチンの他に多嚢胞性卵巣であることも判明。

かろうじて排卵はしていましたが、生理周期が31〜35日と長めだったのでクロミッドとhMG−hCG注射でタイミング療法を半年間続けました。

でも、この治療の途中、薬の副作用で子宮頸管粘液が固くなったり、OHSS(卵巣の腫れ)になったりと、道のりは順調ではありませんでした。

そしてタイミング療法から半年後、病院からはOHSSの懸念から人工授精か体外受精を受けるよう話がありました。私はどちらも受ける気でいましたが、主人は猛反対。

「子供は自然に授かるもの」という考えが強く、ステップアップは望めませんでした。
そして2008年も終りにさしかかる頃、何だか全てに疲れてしまった私は専門病院もお休みしました。

主人も、「もうそんなに頑張らなくていいよ。俺はお前がいてくれたらそれでもう十分だから。自然にまかせよう」と言ってくれ、その言葉も私の気持ちを楽にしてくれました。

そして年が明け、2月の自分の誕生日を迎えた日、いつもと違う体の変調・・・。
まさかまさかの自然妊娠でした!

妊娠の症状

いつもは高温期の途中でガクっと下がる基礎体温が、今回は下がらず。
高温期7日目から、両胸の強い張り(いつもは左のみ)。
その頃から生理痛のような鈍い痛みがあった。

大好きだった飲み物の匂いが、吐き気を感じる程嫌いになった。
生理予定日2日前から着床出血らしき茶色いおりもの。
やたらとお肉料理が食べたくなる。

気をつけたこと

高プロラクチン血症でしたが薬が合わなかった為、漢方薬局で「炒り麦芽」を購入して煎じてお茶にして毎日飲んでいました。このおかげかは謎ですが、数値は75→25まで下がりました。

基礎体温が低めだった為、なるべく冷やさないよう毛糸のパンツ、張るカイロは必需品。
栄養にも気を付け、手作りのお弁当とフルーツを会社に持って行って食べていました。

主人もフーナーテストで運動率にムラがあると言われていました。
ストレスを溜めさせないよう、夫婦仲良くを心掛けました。

メッセージ

ここまで、本当に色々ありました。
私の周りには子供のいない夫婦はいなく、いつも他人の妊娠や出産報告に泣いていました。

こんなに努力して時間とお金を掛けているのに、どうして私には授からなくてあの人には簡単に授けちゃうのかと運命を恨んだりもしました。

会社でも後から結婚した人に子供が出来ると、
「先を越されちゃいましたね(笑)」なんて悲しいことを周りに言われたり。

治療の事を話していた人からでさえ、自分が妊娠するといつも妊娠生活の話ばかり聞かされて辛いこともありました。

皆が当たり前と思っている事が叶えられない自分が、こんなに悲しいものだったなんて。
人生で1番の挫折感でした。

でも、今まで同じように簡単に妊娠できると思っていた自分にとっては、妊娠とは本当に奇跡的で感謝するものなんだと認識する良い経験だったと思います。そして、夫婦の絆も強くなった気がします。

その他ご自由に

管理人様へ。
毎回、本当にこのサイトに助けられていました。
特に心が折れそうな時、「赤ちゃんがほしい」を覗いては自分を落ち着けていました。

このサイトは優しい言葉がいっぱいで、どうしてこんなに私の気持ちを分かってくれるんだろう・・・。なんて思った程です。

これから先も、無事に妊娠生活を送れるように度々覗かせて頂きます。
本当に有難うございました。

\ Pic Up /