臨月に入ってからはいつどんな風に陣痛が始まるのか、陣痛に気がつくのか、外出先で破水したらどうしようか とお産の兆候に不安を感じながら過ごしていました。
赤ちゃんに会えるのを楽しみにしているというよりも、無事にお産が終わってくれたらという気持ちの方が大きかったです。
9月4日、39週と0日の妊婦健診で、もう産みましょう、と先生に言われました。強めに内診で子宮口を刺激してもらいました。
それが効いたのか健診後、少量の出血とお腹の張りがありました。一瞬陣痛につながるかも、と思ったのですが、夜になる頃には張りはすっかり治まってしまったので、2日後に赤ちゃんが産まれるとは思っていませんでした。
最後の健診の夜は、しばらくは2人でゆっくり食事するのも難しいだろうからと、夫とホテルで懐石料理を楽しみました。
9月5日、産まれる1日前も体調が良かったので散歩に出かけました。お腹の張りもなく普通にお風呂に入り、布団に入りました。なんとなくお腹が痛いような気がして寝付けませんでした。
9月6日、朝方、お腹の痛みの間隔を測ってみると10分間隔。起きてきた母に伝え午前5時半頃産院に連絡しました。陣痛が遠のく可能性もあるため、朝一の外来で診察を受けるようにいわれました。
ご飯は食べた方が良いと言われましたが、お腹の痛みで私はパン1枚を食べるのがやっとでした。
午前7時前には少し痛みが強くなってきたので、母の運転で産院の近くへ行き駐車場で待つことにしました。この時点で陣痛がきている時は歩けませんでした。
初診の時間までは待てそうもないので痛みの合間に院内へ母と入りました。診察待合で座っていると出勤してきた看護師さんが話しを聞いてくれ、急いで車椅子を用意してくれました。 内診で子宮口4センチ、入院になりました。
午前8時過ぎ。着替えなどを済ませ、陣痛室に案内されました。お腹に分娩管理装置をつけられました。母も陣痛室に入ってきました。
入院が決まった時点で母が旦那に連絡をしてくれました。 この日は北海道地震が起こった日で、ずっと報道されていましたが痛みで観ている余裕はありませんでした。
お昼頃旦那が病院に到着、母と交代で私を介助してくれました。子宮口6センチで助産師さんからお産が順調に進んでいると言われて安心しました。
けれど、このあたりから本当に陣痛がしんどくなってきました。6センチ3分間隔くらいが長くつづき、陣痛のたびに叫び、お腹の分娩管理装置も動いてしまいます。体勢も定まらず脚が痙攣していました。
赤ちゃんはまだ高い位置にいるようで、陣痛の合間に立ち上がって腰をゆするように助産師さんから言われたのですが、痛みと疲れでできませんでした。
弱音をはいても、助産師さんと医師は優しく落ち着いていて、時折様子を診に来てくれて呼吸法を指示してくれたり、お産の進み具合を教えてくれました。
ここから産まれるまで本当に壮絶な痛みで逃げ出したい気分。 子宮口が全開になったのは午後6時頃で、そのあと物凄い陣痛の痛みで破水しました。
午後7時頃、助産師さんに付き添ってもらい、歩いて分娩室へ。産まれるまで1時間くらいかかるかなと言われて気が遠くなる。ほどなく旦那も立ち会いの支度を整えて入ってきました。
陣痛の波に合わせて息む。産まれる前の陣痛は30秒とか1分間隔でやってきていた。
悲鳴をあげながら先生と助産師さんに声をかけてもらいながら頑張りました。産まれる直前に会陰切開をされましたが、陣痛が苦しすぎてほぼ痛くなかった。途中途中、旦那がお茶を飲ませてくれました。
最後は私が力尽きて、酸素マスクをつけられました。それから数回息んだら頭が出て7時27分に赤ちゃん誕生しました。 分娩台に上がってからは30分程でした。
産まれた時の感覚は記憶にありません。赤ちゃんを胸に抱く前に 顔を観てかわいい とだけ声をかけたのを覚えています。
疲れすぎていて、産んだという実感がわきませんでした。
退院してからしばらくは実家で生活していました。母に手伝ってもらいながらの育児でしたが、産後の疲れもあって上手く行きませんでした。特に夜中の授乳が体力的にしんどく、常に寝不足な状態もきつかったです。
自宅に戻って生活するようになったのは3ヶ月くらいたった頃です。少しずつ赤ちゃんのいる生活に慣れてきました。
思っていた以上に出産にも育児にも体力がいると感じました。 あと 赤ちゃんは丁度良い時期に産まれて来てくれたんだなぁと思います。
39週と3日までに産まれなければ外来で受診する予定でした。そうなる前に、夫婦ですごす時間も与えてくれて、出産当日も夜中に家族を起こすこともせずに産まれてきてくれました。ありがとう。
妊娠中から健康的な生活を心がけ、ゆったりとした気持ちで赤ちゃんの誕生を待つと良いと思います。あと産まれてからは行けなくなる場所に家族や友人と沢山出かけておくといいですよ。